『太陽の牙ダグラム』の「死神の執念」という回の脚本が痺れる__※ネタバレあり
近頃意識的に過去の有名作品を観ています。その一環で『太陽の牙ダグラム』を見ている中でとても痺れる回がありました。
脚本が良いのか?演出が良いのか?
この問いかけ自体が不毛で、両方良いにこしたことはありませんが、脚本が良かったのか演出が良かったのかを見極めるのは意外と簡単ではありません。
かのジブリの鈴木さんの指摘はずっと記憶に残っています。
「本当に凄い映画を見たときは、観客はストーリーなんて気にしない」とも言います。
よく、ストーリーのつじつまが合ってないことにケチをつける人がいるけど、問題なのはつじつまが合ってないことではなく、映画が面白くなかったことなんだそうです。
だからこそ、つじつまが合わないことが気になる。
そう鈴木さんは断言しました。
以下、ネタバレ含む
フェスタの手榴弾のくだり
この脚本は素晴らしい!!と思ったのは、フェスタの事故の回、第17話「死神の執念」。
シーンは以下の流れです。
- フェスタがハックルを茶化して荒っぽい運転をする度にサイドカーの中で転がる手榴弾×数回= 視聴者はハラハラさせられる
- 無敵かと思われた敵をフェスタの活躍で倒す
- 仲間の称賛を浴び照れてバイクで走り出すフェスタ
- サイドカーの中の手榴弾も転がるがぴょこんとフックに引っかかって小躍りするような動きになる= 視聴者はこれを祝福の象徴だとミスリードさせられる
- しかしすぐに手榴弾のロックが外れる
- 仲間の喜ぶシーンがインサートされてからの遠くでの爆発
当初手榴弾はハラハラさせる危険物の印象でしたが、事故の直前では祝福の象徴のように描かれ、視聴者は安心してしまいます。
その隙をつくようにしれっと手榴弾は爆発し、余りの一瞬の出来事に視聴者も置いてけぼりにされます。
手榴弾は視聴者と制作者との対話の為だけのアイテム
手榴弾の存在は視聴者しか知らないので登場キャラクター達の感情の変化には影響はありません。彼等はフェスタの死の理由はわからないまま、次の行動へと移ります。
手榴弾はフィルム制作者と視聴者との間のコミュニケーションの為だけに挿入されたアイテムです。ハラハラさせたり安心させたり驚かせたり、其々のシーンで異なる役割を持たされた象徴的存在です。
このようなアイテムを脚本上に登場させ、視聴者の感情をコントロールするのが脚本の冥利です。
ミスリードは伏線やフラグ同様に重要なテクニック
第20話「偽りのグランプリ」もなかなか唸らせるシーンがあります。
- 策士ラコックはダンスパーティーでデイジーに花束贈呈のOKの返事を貰い、その流れでデイジーをダンスに誘い軽くデイジーを口説きます。
- それを見つめるラルターフ= 視聴者はこの時点で”デイジー落ちるんじゃないか?ラコックきたな!”という気持ちになります
~暫くあって~
- グランプリに響くキャナリーのセンセーショナルなアジテーション~
- やはりクリンが気になるデイジー
全てラコックの思い通りになるのではないか?と思わせておいてからの逆転のグランプリ襲撃シーン。
視聴者を心配させておいてからの逆転というのはとても興奮するもので、このダンスシーンがあってこそキャナリーのアジテーションと盛り上がる民衆のシーンが生きてきます。
良い脚本というものはある
丁度「シン・ゴジラ」を観たばかりで、演出の良さとは?脚本の良さとは?とモヤモヤしていた時にダグラムの17話20話を観て、
やはり良い脚本というものは確実に存在する!
という感動を覚えました。
「死神の執念」が収録されているのは第14話。 レンタルだとvol4に入っています。
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