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フェティシズムを消費する

作家の創作過程が綴られた本を比較的近い期間のうちに2冊読んで、気がついたことがある。

小説家の方では、自分の好きな作風の作家の本を何度も読めというアドバイスや、物語に登場させたい登場人物の顔写真ないしイラストと設定情報を壁に貼り暫く脳内で妄想を続けろというアドバイスなどがあった。

作曲家の方では、好きな曲をひたすら耳コピしてみろというアドバイスや、作業台には自分が好きなものを集めて”どういうときに心を揺さぶられたか?”を思い出して創作のヒントにしろというアドバイスなどがあった。

所謂テクニックや文法を紹介する類の本ではなかなか言及されることのない重要なアドバイスだと思う。

実は最近自分も”何かこの作品よかったな”と思ったアニメを2周して、どこに良さを感じたのか?を味わうということをしている。そんなことをしていると一生の間に観られる作品数に限りが出てしまうのだが、2周すると1周目で無意識に感動してい演出に意識的になれる。自分の性癖を掘り返しているような気持ち悪さもあるのだが、”創作物を消費するというのは自分のフェティシズムを消費すること”なんだなと思うと妙に納得感を覚えてきた。

作家の自己表現を消費しているというよりも、作家のフェティシズムを消費しているという感覚だ。だから同じフェティシズムを再現してさえくれれば、作家が誰であっても構わない。


実はビジネスにおいてもフェティシズムは重要ではないかと思っている。会社組織は生産設備・特許・知見といった蓄積に差はあるものの元はただの人間の集まりでしかない。それがいつの間にか他社に真似のできないサービス提供に行き着くのは、創業者や歴代社長に独自の執念があって何かにフォーカスした結果、差別化できているのだと思う。何かに執拗なまでに拘るということは、生き残っていく上で重要なスキルなのではないだろうか。