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物語を強制的に終わらせるなら”大ダコ”

この記事はネタバレを含みます

東宝特撮シリーズの名作の一つに『フランケンシュタイン対地底怪獣』という作品がある。エンディングが複数パターン存在することで有名なのだが、何よりそのエンディングが衝撃的なことで有名だ。

「あっ!大ダコだ!」

多分そんな台詞だった。フランケンシュタインと地底怪獣バラゴンが死闘を繰り広げた直後、海から大ダコが登場しフランケンシュタインを海に引きずりこんでエンディングになるという唐突感のある終わり方なのだ。

本作のフランケンシュタインは手首だけからどんどん再生し巨大化し人間の手に負えない怪物になり人々に恐れられながらも、心優しい側面を持ち、共通の敵たる地底怪獣までやっつけてくれる、というキャラクター設定なのだが、”人間の手に負えない存在”という設定である以上、「人間と仲良くなりましたとさ」という結末には持って行けず、消滅して貰うしかない。

しかも、手首だけから再生できるので地底怪獣と相打ちして絶命させるというのも難しい。ゆえに、大ダコが海に引きずり込んで人間の世界からフェードアウトさせる、という強制的な手段は理にかなっている。

唐突に新しい課題をクライマックスに持ってくるのはレアではない

最近になって『オーバーマン キングゲイナー』という作品を見た。とても面白い作品だ。

キャラクターはそれぞれの事情や正義を抱えて登場し、主人公も主人公の周りに居る人も、襲撃してくる敵対勢力も、それぞれに共感できるところがある。途中で死んでしまうキャラクターも居るが、敵対してきたキャラクターたちの殆どが死ぬこともなければ主人公側と決着をつけることもなく最終話を迎える。

感情移入してしまった敵側のキャラクターを死なせたり主人公側と決着をつけて白黒つけてしまうよりは、全く別の課題を発生させ、それを解決させることで、物語のエンディングを迎えよう、という設計になっている。(主人公たちが乗っていたロボットのようなものオーバーマン/デビルのうちの一つが暴走し心を支配してしまう、という課題が提示される)

この作品を見ていたときに「これは大ダコと同じだ」と感じた。ところどころ伏線がある点では、キングゲイナーの方が優れたプロットだが、得体の知れない謎の敵や、暴走する巨大破壊兵器などを最終話付近に登場させて物語を”終わらせる”というテクニックは、頻繁に見られるパターンの一つである。

そういう意味では、大ダコはそこまで衝撃的なことではないと思えてきたのだ。