広告/統計/アニメ/映画 等に関するブログ

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成熟した社会に於けるブランド

「ブランドとは何か?」と尋ねられると多くの人が、牛の焼印の話をするだろう。 そして、その次はブランドエクイティなどの話をして、ブランド力は価格に添加できるものだ、という話になる筈だ。

ところで、これはいつまで通用するモデルなのだろうか?

フェラーリはチューリップではないか?

ブランドの代表例としてフェラーリを挙げる人は居るだろう。フェラーリは広告を一切しないのにブランド力がある、と言われる。しかし一方で、フェラーリの何が一体魅力であるか知っている人は居るだろうか?

  • 赤色がいい
  • スポーツカー
  • 何かカッコイイ

フェラーリときいて連想するのはそんなところではないかと思う。

しかし、このいずれもが 「みんなが良いと言っている」 に過ぎない価値である。 ボルボであれば「頑丈である」という機能的価値がある。 トヨタであれば「燃費が良く、故障が少ない」という機能的価値がある。 しかし、「赤色」や「スポーツカーの流線型」などの感覚的価値は機能的価値と異なって、「みんなが良いと言っている」という周囲の評判に支えられているに過ぎない。

昔、「チューリップバブル」というものが存在した。

何故か急にチューリップが人気になり、チューリップの相場があがり、そして下落した。 「みんなが良いと言っている」おかげで、機能的価値は微塵も変わらないまま値段が上がった。

私には、起きている現象がフェラーリもチューリップも同じに見える

大衆が消えつつある

マス広告が効かなくなってきた、と言われ始めたのはもう10年前だ。

その頃から、ラジオ/新聞は高齢者向けメディアに変わり、 テレビは未だ圧倒的なマスメディアではあるが以前ほどには若者に力はない。

価値観が多様化した結果、若者みんながスキー場に行く時代から、野外フェスに行く人、スポーツ観戦に行く人、社会貢献活動をする人、など様々に分散した。

「みんなが良いと言っている」ということの価値が相対的に重要ではなくなってきた。

流行語大賞も本当に流行したのかどうか、なんだかよくわからない、という言葉が増えたのではないだろうか?

「ブランド」はどうなるのか?

マスメディアを見ない人が増えても、大量消費社会が終わっても、広告業界は困らない。

ニッチなメディアに広告をし、ターゲティングした相手に適切なメッセージを与えられば心は動く。 効率的なマス広告の売上が減った分、手間が増えて利益率は下がるかもしれないが、 情報の伝達が必要である以上、広告は必要であり、仕事はなくならない。

しかし、「みんなが良いと言っている」という価値がなくなったとき、「ブランド」はどうなるのだろうか?

例えばiPhoneの寿命

iPhoneはデビュー当初圧倒的に見えた。Androidはすぐに登場したが初期のGalaxyは酷い挙動であった。 ところが、Galaxyはデザイナーも刷新して売れるようになり、巨大マーケットの中国ではXiaomi、HuaweiOPPOなどが勢力を伸ばした結果、Androidはシェアを順調に伸ばしている。

www.kantarworldpanel.com

日本では何故か韓国嫌い・中国嫌いが多いこととWikoのような企業が現れないためか、未だにiPhoneがブランド力があるが 世界的な流れを見ると時間の問題だろう。

「みんなが良いと言っている」だけで機能的価値がないものはブランドにならない。

Googleの「リスティング広告」という概念は革命的であった

リスティング広告というのは、興味が顕在化した人だけを狙うという広告である。 「知って欲しい人にだけ知って貰えばいい」という画期的な広告システムであり、今のターゲティング広告というものは全てこのリスティングから始まっている。

一方で、レガシィな広告代理店は、大衆向けの広告を作ることだけを長く仕事としてきたため、未だにこの発想に追いついていない。

知って欲しい人だけが知っていれば良い商品に対して、「みんな」にウケるように全然異なるコミュニケーションをしてしまう。 著名なタレントを映画の吹き替えタレントに使ってマスメディアの露出をはかる、という手法は変わらない。

「みんな」からの脱出

嘗て、「みんな」というワードは強力だった。

  • 「みんな」が欲しいファミコンが欲しい。
  • 「みんな家を買う」から家を買う。
  • 「みんなトレンディドラマを見る」

しかし今はそういう消費はしない。

例えばゲームの場合

今は「みんなが欲しい」からゲームを買うのではない。 「友達が参加してるからこのソーシャルゲームをやると一緒に楽しめる」からそのソーシャルゲームを選ぶのだ。 単独で黙々とやるゲームを「みんなが欲しがっているから」というだけの理由ではもう買わない

「ブランド=イメージで売ること」という発想をやめる

今の時代、売れているものには理由がある。「みんなが良いと言っている」では売れない。

みのもんたがテレビで紹介したら殺到し、何となくそれを見て買う人が更に殺到する、などというモデルは通用しない。 未だにそんなことを戦略PRだと称しているPR屋もどきがいたら、今すぐやめた方がいい。 バズは一過性でしかない。

「あの商品はブランドがあるからなぁ」と漠然としたことを言う人がいたらその人は思考が20世紀で終わっている。

「何故その人は買ったのか?」を考察するように問いを与えるべきだ。 何かしら機能的価値か、或いはその人にとって特別な理由があって買っている。

「みんなが欲しがっているよ!」という空気を作ろうとする広告クリエイティブは、今後みかけることは減っていくだろう。