『コンテンツの秘密』_シネフィル問題_『東のエデン』_歳を取るほどコンテンツは楽しめる
先日、ドワンゴの川上さんの著書コンテンツの秘密―ぼくがジブリで考えたこと (NHK出版新書 458)を読みました。とても洞察が鋭く、カバン持ちをしているジブリだけでなく、庵野秀明さんや長戸大幸さんなど様々な方にヒアリングをし、かつ工学部出身らしく理系の教養があるため、アプローチが科学的です。
本書の感想を全て述べてしまうと、もはや著作権法違反になりかねないので、中でも気になったトピックスを取り上げます。
■ クリエイターは表現を見るが、大衆は先ずストーリーを見る
以下は、川上さんの著書からの引用ですが、
これと全く同じような議論が、丁度最近のツイッターでも繰り広げられました。ハリウッドのある特撮映画を、日本で特撮映画をつくっている人たちと見に行ったことがありますが、そのときぼくはその映画がとてもおもしろくて、これと勝負するのは大変じゃないかと心配になったのです。ところが、映画が終わるといっしょに来た日本の特撮映画のクリエイターたちは大喜びで、ハイタッチを交わしています。新しい表現がなにもない。これだったら勝負ができそうだというわけです。(『コンテンツの秘密』,p157)
#シネフィルってなんだろう のツイート
その中でも、やはり映画好きであるほど、ストーリーだけでなく、表現に着目して行くようです。
#シネフィルってなんだろう
自分が観た映画の知識などをふんだんに使って、いろんな論を展開するのとかが好きな人。「映画について語る時間あったら、もう一本見る」「映画の、ストーリーのみを語る人(それ以上には踏み込まない)」は、たくさんの映画は見るけれどシネフィルではないと解釈。
— babby (@cipriani_s) 2015, 5月 16
■ 音楽でも似たような話がある
川上さんの指摘では、音楽の専門家が求める音と、大衆の求める音が異なるという指摘がありました。
少し古い例になりますが、以下は、ニコニコ動画のMIX師に求められる技術と、レコーディングエンジニアに求められる技術が全く違っていて、レコーディングエンジニアからすると基礎がなっていない弟子が、著名なMIX師で、しかもそのエンジニアは、MIX師のようなクオリティを目指してくれ!というオーダーを受けていて、全く異なる文化圏とターゲット層の存在にビックリしています。音大の人は、原曲を耳で聴いて着メロとしてコピーする際、ふつうの人よりもたくさんの楽器の音を聞き分けられるのです。だからたくさんの楽器の音を再現して、より原曲に近い着メロをつくろうとするわけです。
でも高校生は、もともとそんなに音を聞き分けることができないから、それだとやかましく感じてしまう。楽器の音の数は本物に近いのに、高校生にはむしろ本物に聞こえないという矛盾が起きていたわけです。『コンテンツの秘密』,p128
MIX師って…(°Q。?)
■ 人は自分が慣れたことの少し上しか理解できない
実は、こういう話は、結構沢山あるように思います。
・美人は、平均顔
・絶対音感というのは、西洋音楽の十二平均律を聞き分ける能力
・物語のパターンは決まっている。どう組み合わせるかがオリジナリティだ。
etc...
人間は、過去の経験を脳に蓄積し分離パターンを学習していきます(参考情報に基づく直感)が、どうやらそれによって、理解できる範囲のものに、心地よさを感じ、かつ、そこから少しだけ違和感があるものに対して、新鮮さを感じるのではないかと思います。ポップソングやクラシックで、同じパターンを繰り返し、アクセントに少し変調させたり、と行われている通りのことを、様々な分野において快楽の刺激として感じていると思います。
音大の人と、着メロユーザーの美的感覚は、異なりますが、着メロユーザーもどんどん音楽を聴き続けると、いずれ、差異が分かるようになり、異なる着眼点での楽しみ方に気がついていくのではないでしょうか。
■ 自分自身も『東のエデン』で、丁度似たような体験をしました。
昨日、新文芸坐×アニメスタイル セレクションVol. 68 『東のエデン』Special あなたが救世主たらんことをのオールナイトに行ってきました。
(いつもどおり、神山監督のお話は本当に面白かったです!)
この作品、実は、本放送で観たときは、第1話の流れるような美しさに感動したのですが、TV版最終話の終わり方に納得が行っていませんでした。
※済みません。ちょっとネタバレします。
何故かと言うと、結局は、選ばれたセレソン同士の疑心暗鬼の末に、共同することも無く、別のセレソンが起こしたことを他のセレソンが阻止する、という繰り返しで物語が終わり、"この国を救う"というミッションになにも前進がないように思えたからです。
ところが、昨日、オールナイトの総集編で見直した時には、その設定は、何も気になりませんでした。しかも、よくよく見るとちゃんと滝沢くんが、「この国には頭のいい連中がいっぱいいんのに損な役回りやる奴がいないんだ。、」と、極めて重要なメッセージを残しているではありませんか。。。1周目では、気が付かなかったに、2周目では、この台詞に、いたく感動してしました。
本放送から5年経つ間に、僕は、2つのことを習得していました。
・ストーリーの筋を追うのではなく、滝沢朗というキャラクターのカッコ良さを只管追いかけて見る、楽しみ方
・"損な役回りをする人がいない"ことこそが、今の日本の閉塞感の大きなポイントである、という考え方
自分の経験がたまることで、また1つ、僕は楽しめるコンテンツが増えたのです。
色んな人が、色んな方法で作品を楽しみます。自分に合うもの合わないもの、色々あると思いますが、自分自身が成長することによって、新しい楽しみ方を堪能できるようになっていきます。ヒット作の物語のパターンなど陳腐化していますが、飽きるどころか、歳をとることでどんどん楽しみが増えていく。
とても素晴らしいことではないかと思います。
とにかくこの『コンテンツの秘密―ぼくがジブリで考えたこと (NHK出版新書 458)』は、いい本ですので、コンテンツが好きな人は読んだらきっと面白いと思います。
その他にも、鈴木プロデューサーが、ストーリーが気に入らなかったのではなく、面白くなかったから辻褄の合わないストーリーが気になってしまうだけだ、という主旨の指摘をしていましたが、この観点ももっと掘り下げたいですね。
あと、東のエデンが初めての方は、総集編の映画ではなく、TV版を見ることを個人的におすすめします。
第1話の流れるような美しさのストーリー構成と、滝沢くんのイケメン具合は、TV版に最も現れています。