広告/統計/アニメ/映画 等に関するブログ

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メイズ・ランナーはイケメン揃い

昨日、メイズ・ランナーを観てきました。 予告編を観てもらえばわかりますが、とにかくこの作品、イケメンの少年のオンパレードです

田中泰延さんの映画レビュー
ツイッター上には、時々抜群に面白いツイートをする人がいます。
田中泰延さん@hironobutnkもその一人で、いつもとても参考になるツイートばかりですが、この方の映画評もいつも面白いのです。アホみたいな冗談も混じりながら、とても重要なことを指摘する、流石広告の一流クリエイターは違うなーといつも参考にしています。
その映画評の連載記事の1つ、【連載】田中泰延のエンタメ新党(9) ビリギャル | 企画 | 街角のクリエイティブの中に、とても重要な指摘がありました。

とにかく、主演の有村架純ちゃんがかわいい。

このキーワードが3回繰り返され、

もうこれで映画評が終わってしまいそうです。僕、有村架純ちゃんのためなら死ねると思うんですよ。

と続きます。
詳しくは上記ブログを是非見て頂きたいのですが、主演が美しければ映画は様になるというのは、とても重要なことだと思います。昨日 メイズ・ランナーを観た後の満足感の重要なファクターだったと思いました。

メイズ・ランナーのストーリーはシンプル
メイズ・ランナーは、少年達が誰かによって仕組まれた閉鎖エリアから危険を乗り越えて脱出しようとする、というありきたりな設定です。『CUBE』『バトル・ロワイアル』『ハンガー・ゲーム』などでお馴染みの、もはや陳腐な設定です。正直、自分もツイッター上での評判が良くなければ、全く観るつもりはありませんでした。
このありきたりの設定で勝負するのは、並大抵のことではないでしょう。

イケメンのアップが映るだけで応援したくなる
イケメンというのは男が観ても心地良いもので、僕は、松田龍平君が好きなので『探偵はBARにいる』シリーズも2作とも観ているのですが、メイズ・ランナーのような少年だと、応援したくなる気持ちで観ていました。
これが、オジサンが美女と一緒にサヴァイブする話であれば、いつものハリウッド映画で、個人的には苦手な分野になるのですが、イケメンの少年同士が協力するとなると、上映中ずっと"頑張って欲しいなー"と思って観ていました。

迷路のカットが少ないのは意味がある
本作は、派手な死体もなければ、迷路の謎解きがあるわけでもありません。ただ只管イケメンの少年同士が如何に仲間を理解し助け協力していくか、という様を追い続けています。圧倒的に彼等の様子を追いかけたシーンが多い。
ちょっと迷ってるけど俺はお前を信じるぜ!という表情。
どうしてお前は俺の言うことが理解できないんだ?という表情。
ツイッター上で誰かが、「CUBEではなくて十五少年漂流記だ」と指摘していましたが、まさにその通りでしょう。
謎解きや派手なアクションが観たい人も居るかもしれませんが、人間はやはり人間が観たいのではないでしょうか?



因みに、メイズ・ランナーはストーリー設定でも、CUBEやハンガー・ゲームより僕は好きでした。殆どの脱出・サバイバル系は、閉鎖された極限状態での醜悪な人間関係を描きがちなのですが、本作は、仲間同士で如何に協力して生存確率を上げるか?という前向きな物語なので、観ていてとても快感でした。そういう意味でも面白い作品なので是非観て欲しいです。

『紅い眼鏡』_実写こそ押井さんに合っている

 新文芸坐×アニメスタイル セレクションVol. 67 押井守映画祭2015 第三夜「マニアック編」
に行って参りました。
 確かに、4作品上映された筈なのですが、僕の記憶には頭2本しかありません。。。(だってオールナイトで押井守作品dすよ。寝ますよ。)
 それは、さておき、実は1~2年前にも同じく押井守映画祭で実写作品軍を見たのですが、ものの見事にその時も寝てしまい、『紅い眼鏡』を観るのは、初めてでした。 以外なことに、殆どがモノクロの映像で実に味があります。何処からが夢で何処からが現実なのか?複雑な入れ子構造によって、だんだんわからなくなっていきます。
 謎にフィーチャーされる立ち食いそば、、、全編、声優によるアフレコなど、音響も拘りが感じられ、とても前衛的な仕上がりになっています。シリアスなトーンの中に急遽、ギャグのように入ってくるギャングのダンス、、、
 どれもアニメでやってしまうと、最初からフィクションですからシリアスさのないタダのギャグになってしまうでしょう。劇中劇は、ぱにぽに や 輪るピングドラム など何作も存在しますが、作品内の夢と現実を交錯させる為の劇中劇は、やはり実写ならではの手法ではないかと思います。

 くしくも、Wikipediaによると、

宮崎はその後、本作のパンフレットに「押井さんについて」と題した文章を寄稿している。この中では、自分が脚本で押井が監督するはずだったアニメ映画(『アンカー』を指すとみられる)がつぶれてスケジュールが空いたときに二人で知床まで自動車旅行をした話のあとに、「ぼくは実写映画に関心も興味もない。時たま、ほんとに時たまの気まぐれな観客の立場から出る気はない。だから、押井さんが映画少年をいまだにひきずっているのを見ると、アニメーションの監督を実写の人がやるような違和感しか感じない」と述べた上で、本作には押井が「何を考えているか」が「いちばんはっきり表現されていると思った」、(本作を見ているうちに)「70年のバリケートの中にいる高校生の彼が、俺にとって現実と呼ぶに価するのはこの瞬間だけだといまも叫んでいる気がした」と記している

 という記載がある通り、アニメでは只管眠い押井さんの演出も、実写では生きるのでしょう。

 昨日のトークショーでは、千葉繁さんが、この作品は実写ながら絵コンテが全カットにあって、役者も、ここは広角レンズだから大げさに演技しなくはいけない、ここは望遠だから逆に大げさに演技してはいけない、などの判断をしたと言っていましたが、絵コンテ段階でしっかり練った為か、どのカットも意図と手法がマッチしているように見えました。

 SFのショートショートが好きな人には、是非見て欲しい作品です。
 仲間を信じるとは?どういうことか?




紅い眼鏡 [DVD]

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ベイマックス/インターステラがくすぐる’探究心’

「ベイマックス」「インターステラ」夫々に魅力があり、様々な見所がある作品だと思います。
ただその中で僕が最も”良いな”と思った部分は、
2作とも 研究者魂をくすぐる という描写があることです。

※以下、ネタバレを含みます。

「インターステラ」
探究心をくすぐるポイントは2箇所

1.大昔の偵察機を追いかけるくだり
学校に行かなければならないのに、父親が無人偵察機を見つけて車のハンドルを急に回してしまいます。
そして娘もまたその追いかけっこに加担し、2人でワクワクして、その無人偵察機の操縦を奪って玩具にしてしまうのです。
(*大昔に飛ばされて今は使われていない無人偵察機が時々空を浮遊している、という時代設定です)
本作の世界の学校では、将来役に立つとされている農業ばかり熱心で、科学のことは一切教えません。
学校、特に義務教育機関はともすると誰かの決めた方針に則った内容を誰かが決めた正解として教えるに過ぎませんが、本来 勉学とは、世の中の謎を解明し次なる発明へと繋げていくことです。
夢中になって親子で無人偵察機を追いかけるシーンは、この映画の中でも最もゾクゾクするシーンでした。

2.暗号解析するくだり
どうやら本棚がモールス信号を送っているらしい、と分かってそれを解明し始める親子。
来る日も来る日もずーっと座ってそれを解明します。
自分が知らないこと、分からないことを解明したい、という欲求は誰しもあります。
その心を忘れてはいけないなーと感じるシーンでした。

「ベイマックス」
大学の研究室が熱い
本作で最も印象に残ったのが大学の研究室の描写です。
ロボットバトルに明け暮れる弟を心配した兄は、自分の大学の研究室にこっそり連れ出し、そこで最先端の研究を個人では出せない潤沢な費用で研究している様をみせ、彼に大学進学を決意させます。
本作で最も感動的なシーンでした。
普段は何をしているか明確にしていない兄が、実は大学で素晴らしい研究をしている。
しかも、同じような研究熱心な仲間たちと毎晩一緒になって研究している。
そんなことを知ったら、そりゃ大学に行きたくなるでしょう。

このような機会は、物語の世界だけでなく、実際の世界でももっとあるべきことだと思いました。

風立ちぬにもあった
ジブリアニメ「風立ちぬ」にも実は、この大学の研究室のような世界があります。
入社したての主人公達が、終業時間後に集まって自主的な勉強会を開いているシーンです。
所長は勿論怒りますが、満更でもない様子。
とても萌えるシーンです。

実社会での我々はどうか?
異業種交流会と称して、パーティを開くのも悪くありませんし、酒を飲んだらいいアイデアが出るんだ!と信じて宴会をサれる方もそれが正しいと思うのならそうでしょう。
しかし、そのようなリラックスした時間だけでなく、
真剣に勉強会をする、という機会がもっともっと会社内にあって良いのだと思います。
なんの為に、色んな人生を経てきた人が、1つ屋根の下に居るというのでしょう。
え?それならこんな方法があるんじゃない?
それ、面白そうだねちょっとやらせてみてよ!
と発展していくことこそが、イノベーションの源泉ではないかと思うのです。

そのような 探究心に興奮する子ども、という描写をしっかり入れている「インターステラ」「ベイマックス」は、その意味でとても良い映画でした。
見て損はないと思います。


「ブラック・レイン」CGが無かった頃の映像美/ハリウッドらしからぬ丁寧な脚本

昨日、高倉健さんの追悼の意味もこめて「ブラック・レイン」を初鑑賞しました。
これは、いいところを挙げたらキリがない程、素晴らしいので、まだご覧になっていない人は是非見て下さい
・80年代末の日本の工業力が良く表現されている。
・舞台設定の選び方が素晴らしく、日本での撮影なのにとてもハリウッドらしい大迫力の映像。
・役者の演技が良い。高倉健松田優作、他にも勝新太郎の兄 若山富三郎などが名演。
・2種類の考え方に生きる者達の対比と成長の物語
・伏線とその回収の美しさ、様式美。(*ほんと凄いです)
等々、とにかく総合して完成度が高い作品でした。

僕は、リドリー・スコット監督作品はブレードランナーもエイリアンも特に好きではありませんでしたが、「ブラック・レイン」はとても良い作品でした。もっと早くに観ておくべきものだったと後悔しています。

*以下、ネタバレも含んで、気がついた所をメモします

< 「ブラック・レイン」の映像美 >
・朝焼けに集合するバイク
・空を飛ぶ飛行機の銀色のボディの反射
・夕焼けに映える日本の工業地帯
・電飾看板がごった返す夜の大阪の町
・剣道の稽古シーン
・町中で存在感を放つ大坂城
・製鉄(?)工場の大量の自転車・トラック・大きな音の出る工場ライン
・朝焼けの棚田
等々、とにかく選ぶシーンがどれも美しく、かつ、それが最も映える時間帯の陽射しの中で撮影しています。

今日ではCGが進化し、先日観た「トランスフォーマー ロストエイジ」では、どこからどこまでが本物でCGなのか区別のつかないほどの進化を見せていましたし、飛んで行く瓦礫やスローモーションの巨大ロボットなど、CG全盛期だからこそ撮れる迫力のある映画でした。

しかし、改めて「ブラック・レイン」の1989年頃の映像を観ると、CGでは到達できない自然光を利用した美しい映像がそこにはあり、CGで何でもできることによって、却って、1シーン1シーンの最も美しくかつ演出意図が伝わる映像、を考える力を失っているのかもしれません。
是非、二作を見比べて、アナログ時代に獲得された人類の資産を忘れないようにしたいものです。

< 美しい対比構造 >
堅苦しいルールに反発する 刑事ニック/チンピラ佐藤 ⇔ チームのルールの大事さを知る 松本警部補/菅井親分
ブラック・レイン”というタイトルは、広島の「黒い雨」のことを指す言葉ですが、本編のタイトルとして使われた意味としては更に1つ先の概念を持たせていいます。この言葉は、日本の儒教集団主義を背負った菅井親分が、アメリカの個人主義的思想が蔓延し、佐藤のようなチンピラばかりが増えてきたことを嘆く発言の中でのフレーズですが、正に、集団主義個人主義の対比こそが、本作の見所です。

堅苦しいルールに縛られるのが嫌で、自由にバイクに乗り、(恐らく)余りの自由さに妻と離婚し、金の横領もし、日本国内に居るのにも関わらず勝手に警察の指示を無視して身勝手な行動を続けるニックが、真面目で真摯な松本警部補とのコミュニケーションを通じて、一歩大人になる物語です。

一方、チンピラである佐藤は、一瞬 親分達のルールに従うかに見せかけ指をつめますが、それを見て心を許した菅井を裏切って斬りつけてしまいます。彼は成長をすることができずに、良きチームとなった、ニックと松本のコンビに補導されるのです。

個人主義への批判というよりも集団主義の持つ真の意味と友情の美しさがテーマとして記憶に残る作品です。

< 最も象徴的なシーンとしてのうどん >
本作で最も印象深いシーンは、築地市場の夜明け前に、うどんを食べるニックと松本のシーンでしょう。
松本は、米国からニックの横領疑惑がかかっていることを知ってしまい、その信実を確かめようとします。
(*この時の高倉健の表情変化が実に細かいのも見所です)

チャーリーという相棒を失い(それもチャーリーが日本のルールを無視して独自な捜査活動に連れ回したことによって)感傷的になったニックは、同じく監督義務を敢えて怠って自由にさせてしまったことを悔やむ松本への理解から、横領したことを認めます。
その時に、チャーリーはそれを知っていたのか?という松本の問いは、極めて深い一撃をニックに与えたことでしょう。
正直に告白するニックに松本は追い打ちを掛けるように、窃盗はニックだけでなくチャーリーの名誉もそして(”貴方を信じていいた私”である)松本自身をも傷つけるものだと猛省を静かに促すのです。

純粋でお坊ちゃんで、ニックを完全な白だと思って慕っていたチャーリー
酔いながら共通の歌で盛り上がり親睦を深めたチャーリーと松本の一幕
アジトの現場からドル札をこっそり盗んだことに静かに怒っていた松本との対立とその後の和解
等々、様々なシーンを思い出して泣けるシーンです。

集団主義といっても、ただお堅いルールが無意味に存在しているのではなく、その奥に芯となる”正義の心”が通っているのです。
自分なりのやり方で成果も上がっているし、悪い奴らの金をちょっと横領した位で何が悪い?と思っていたニックが、本気で他人の考え方を理解した瞬間でしょう。

< 対立と和解の繰り返し 萌える 友情 >
一方の松本も作中心が揺れ動きます。これを想像しながら本作を追っていくと実に萌えます。
勝手に捜査車両に乗ってしまうニックとチャーリーを制止できず、彼のヤマだ、という気持ちも理解して連れて行ったら、
アジトでは金を盗む。大橋警視には叱責を受ける。
勿論、剣道のシーンでは見損なったと怒る。
しかし、それが偽札かどうかを確かめる為に先に行動した彼等なりのやり方だと知って一度は納得します。

その後チャーリーとは共通の歌や、ネクタイのプレゼントを通じて、異文化理解ということに1つ心を開きます
そして、チャーリーを失ったニックに、思わず「遺品を1つ渡す文化だ」と言って、銃を(実際には非合法ながら)独断で渡してしまう。
しかし、工場での闘いの後に、松本は警部補から降格・謹慎処分。ニックは本国へ送還となり、行き過ぎた自由を与えたことを後悔し、またもや身勝手に空港から抜け出したニックが訪問してきても「帰ってくれ」と静かに追い返すのです。
(*終始高倉健の静かに怒るシーンがいかにも嘗ての日本的で美しいです)

その後、何故棚田の決闘場を松本警部補が察知できたのか? その描写をバッサリカットし、
緊張感ある棚田のニックのピンチにこっそり登場する松本のシーンは、とても美しい登場のさせかたでした。
これは、それまでに何度も喧嘩と仲直りがあった故に納得感があるという、事前の準備があったからこそ跳躍できるものですし、逆に、ここで長々と心を帰る松本のシーンなどを入れると、一気に安物のドラマになってしまい、棚田のシーンの緊張感も台無しです。
この完成度の高さは唸るしかありませんでした。

< 丁寧な伏線 >
更に細かく良いポイントが随所にあり、拙い自分の語彙力では全てをまとめることができません。
しかしこの作品は、掘れば掘るほど完成度の高さが味わえることでしょう。

・冒頭のバイクレース バイクが得意なニックの描写 ⇔ 棚田のバイク逃走劇で 佐藤に追いつくニック
⇒更にこのシーンは単にニックの能力の事前説明のみならず、冒頭ではタダ金を巻き上げるだけだった乱暴なニックが、佐藤との闘いの最期では、地面に突き刺さる杭に佐藤を刺そうと思って思い留まる 正義漢に変わったことを、対比によって描くことができています。

・暴走族が寄ったニックとチャーリーを脅かすシーン ⇔ 佐藤とその古文がチャーリーを襲うシーン
⇒これがあることによって、チャーリーが不用意にバイクについていってしまうことが視聴者的にもおかしく映らない。
 また、冒頭でニックのバイクを牛に見立てて闘牛士のポーズをとって遊ぶシーンがあるが、それをこの急襲シーンでも描くことによって、チャーリーが安易に巻き込まれてしまうキッカケが自然になっています。

・アジトを抜け出す際にバイクに乗って振り向く 佐藤 ⇔ チャーリーを襲う時にバイクから振り向く 佐藤
⇒アジトでの不気味な佐藤の表情がサスペンス要素を加えています。ニック・チャーリー・松本が、逃走犯を追いかけているように見えて、視聴者には、それが最初から佐藤の手のひらに乗ってしまっているだけなのが伝わるシーンです。
 また、ニックと佐藤の個人的な闘い、という側面の描写は、ニューヨークのお店での佐藤の視線、飛行機での佐藤の視線、など随所で松田優作による演技で描写されています。その個人的な闘いという軸があることによって、菅井親分との緩やかなニックの共闘関係の大義が成立する他、正義漢である松本がニックに理解を示すポイントとなっていることも大きなポイントです。

・アジトに残ったドル札を盗むニック ⇔ 菅井と佐藤の闘いから偽札の原版を盗む ニック
⇒シャツの下に原版を入れてプレゼントとして返すシーンは、最期の締めとして実に美しいシーンでした。 またお前が盗ったんじゃないよな?という松本の猜疑心を綺麗に裏切り、盗んだのは確かだけど、今度はちゃんと返したよ、あんたの手柄にしなよ!という贈り物でもあります。



ブラック・レイン デジタル・リマスター版 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

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役者も良い。映像も良い。そしてハリウッド映画なのに主人公も成長する物語。80年代末の日本が外からどう見えていたのかも堪能できる。

迫力ある映像が満載。音を消して観るとよりわかるかもしれません。スローモーションで空中を飛ぶシーンや車に光が当たって一気に新品のように輝く瞬間などがとても美しい。

良い作品と悪い作品の見分け方【映画・アニメ限らず】

学生の頃、大学の一般教養では
-------
”良い映画と悪い映画”を見分けたかったら先ず、100本は映画を観なさい。
名作や新作に限らずとにかくその程度観れば、
具体的に分析できなくても、良い悪い位は何となくわかります
------
と教わりました。
(私は優等生ではなかったので、半期どころか卒業するまでに100本観ませんでした、、、)

これは、「ヒットする/しない」とはまた違うのですが、
確かに、観た絶対量が増えれば、映画に対して、「凄かった!」以外の感想を抱けるようになります。

とは言え、どう観れば、良いのか?のヒントを事前に知って観るのと、ボーっと観るのとでは、効率が違います。

脚本に関する本は有象無象ありますが、映像演出に関する本はそう多くありません。
その中でも、当時、講義で勧められたのが、こちらです。

映画技法のリテラシー〈1〉映像の法則 ([1]映像の法則)映画技法のリテラシー〈1〉映像の法則 ([1]映像の法則)
(2003/11)
ルイス ジアネッティ

商品詳細を見る
※せっかくなのでアフェリエイトで貼って見ましたが、
大判でかつお値段も高いので、学生さんは、大学の図書館で借りるのが良いと思います。
そして、下巻もあります。。。

例えば、
・存在感を表す時に、下から上へ見上げるアングルで撮っているか?
(ダラダラと生活目線だけで単調に繋いでいないか?)
・威圧感や立場の上下を表すように、見下げるアングルにしてあるか?
・状況説明的なシーンで俯瞰的なショットでとれているか?
等々、言われてみれば、凄く当たり前のことですが、
これを意識しながら作品を鑑賞すると、
基本に忠実に作ってあるか手抜きしてあるか、
ぐらいは判るようになります。



カメラワークの効果などは、必ずしも全てが実験で確認された定説があるわけではなく、
ぼんやりと合意された、手法と効果が存在するような状態で、
この本に書いてあることが全てでもありませんが、
最も網羅的にまとまっているのがこの本だと思います。

因みに、アニメでもドキュメンタリーでもある程度、共通に存在するものですので、
映画に限らず普段のTV番組でも、注意してみると、作り手側の作為が推測できるようになります。

特に目線の高さや対象の上下関係などは、静止画の写真であっても同じことが言えますから、
報道写真や広告写真の意図が垣間見えると思います。

「MG」=ミニマムギャランティ

以前、「上代」「下代」ロイヤリティという記事や、製作委員会の収入関する記事をエントリーしましたが、
関連して、
MG」(よみ:エムジー)
という言葉があります。



Minimum Guaranty 」(よみ:ミニマムギャランティ)を略してMGと呼びます。
意味は、字面の通り「最低保証額」で、
”商品化によるロイヤリティ収入を先払いで版元が受取る仕組み”です。

ライセンサーとしては、
収入を最大化するためにも、出来るだけ沢山販売してくれそうな所にライセンスアウトしたいのですが、
余り販売力・営業力が無さそうだな、というライセンシーに、「手を挙げてくれたのが早かったから」という理由でライセンスアウトする場合などは、
”果たしてちゃんと売ってくれるのか?”,”利益が委員会に還元されるだろうか?”と若干不安になってしまいますし、

ちゃんと売ってくれる所でも、何らかの理由で商品の発売が延期に次ぐ延期で、
せっかく盛り上がってる番組放送期間中に商品が出ず、すっかり販売チャンスを失ってしまう、
という危険もありえます。

そのようなリスクを回避するために、「最低限これだけは売って収入あげて下さいね!」という金額を決めて、
実際に売れる前に、払っていただくのが、MGの仕組みです。



当然、商品化された商品が大ヒットして、追加生産した場合、
MGで設定した金額以上のロイヤリティが発生しますが、
勿論、追加で発生した分のロイヤリティも、ライセンサーに払わなければなりません。

海外番販の際には、商品化とセットで当該国や地域でのライセンス業務一切を売ってしまう場合がありますが、
そういうときにも、MGを設定してもらいます。
許諾したものの、許諾されたライセンシーサイドが商品開発をサボって、利益を上げないくらいなら、
はなっから別の所へ許諾した方が良かった、
などということが起きないようにしています。

MGの設定をすることをよく、”MGを切る”と言います。
語源は不勉強なので存じていませんが、何故か、”切る”と言います。

「ノンモン半秒」OP/EDの秒数

地味な話ですが、
アイメのOPやEDで、TVサイズというと90秒や60秒なのですが、
厳密には音が流れているのは、
89秒や59秒です。

番組とCMの合間、CMとCMの合間、など
区切れになる部分は、実は、0.5秒、無音にしないと行けません。
それを「ノンモン」といいます。

長さは、半秒(*TVの場合は、15フレーム)

※番組本編とCMとで音の大きさがちがいますので、
 急激に音が大きくなったりすると、耳障りだからです。

したがって、OPもEDも、頭と後ろの0.5秒ずつ、音が無いので
合計で1秒、映像の尺より短くなるのです。