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人の購買履歴は個人に帰属するのか?ー哲学的素養がマーケティングにも必要な理由

タカヒロさんがときどき、アドフラウド系の問題に無自覚なWeb広告配信業者界隈に警鈴を鳴らすときがあります。

正直なところリテラシーの高い人なので、意図を私が理解しきれないことの方が多いのですが、上記のような発言のバックボーンには、タカヒロさんが学生時代に社会学を研究していたからだと思っています。

www.mediologic.com

一方で私は大学時代は芸術哲学を主専攻、社会心理学を副専攻にしていましたし、文化人類学社会学の講義も勿論ありました。そしてその中には共通する所作があると思っています。

哲学の特徴とは「当たり前のことの背景を考察する」こと

哲学とは何か?というと凄く難しくなうのですが、他の学問と異なる特徴は「当たり前のことの背景を考察する姿勢」だと理解しています。

例えば、芸術哲学だとどういうことをするのか?と言いますと

  • 何故、芸術鑑賞と言えば美術館なのだろう?
  • 元々置いてあった場所、社会的コンテクストから切り離して「ホワイトキューブで鑑賞できる」と思っているのは何故だろう?
  • 「作品は作者の意図が込められた表現物だ」と思っているから、社会的コンテクストより作者の意図性を重視するのではないか?
  • そもそも作品に作者の意図が込められていると認識されだしたのはいつからだろうか?
  • 著作権法を見ると、近代的価値観に基づく著作権法では「作品は作者の意図を表現したものだ」という大前提で組まれているようだ

といった思考を巡らせて、普段当たり前のように習慣化していることについて俯瞰していきます。

文化人類学社会学も当たり前のことの背景を考察する所作がある

同様に、文化人類学社会学においても、人々の習慣が何故起きていることなのか?探って行きます。西洋社会と異なる文化を持つ民族のところに行き婚姻体系を中心とした習慣を分析するレヴィ=ストロースの活動が有名ですが、「習慣が何故起きているのか?」の背景を探っていくわけです。

マーケティング活動は社会の習慣と裏表

マーケティング活動は、社会や人の心理を理解しないと対応できません。

例えば、

  • 「健康のためにダイエットしましょう!」と言うのではなく「モテるためにダイエットしましょう!」と欲望を刺激してヒットしたジム
  • 個人情報の取扱に慎重になった時代に「自分の知らない間に電話番号情報を電話帳から抜き取って友だち登録する罪悪感の薄いアプリ」
  • 他人に頼られることが快感で強くなり続けたくなる盗賊ソーシャルゲーム

といったものは、上手く人々の心理構造に便乗できたことでヒットしています。

今はOKでも将来NGになることもある

先程、個人情報保護に言及しましたが、昔は住所リストを販売する会社がありました(今もほそぼそとあります)。しかし昨今では昔のように簡単に住所を得て活用することは難しいでしょう。このように社会の価値観の変化によって未来において禁止される事項があります。

気持ち悪いと言われたリターゲティング広告

あるサイトを訪問するとその商品バナーが永遠に追いかけてきたり、さっき見たECサイトの類似商品がバナーで表示されたり、個人の閲覧傾向によって広告を配信されると”少し気持ち悪い”と思うのではないでしょうか?

例えば、EUでは既にGDPRとEプライバシー規則によって、Cookie情報を元にしたマーケティング活動への規制が厳しくなっています。

https://www.ppc.go.jp/enforcement/cooperation/cooperation/GDPR/

当たり前に使っていた広告配信手法が当たり前ではなくなっていく可能性があります。

例えばECサイトについての考察

先程のEUの方針を俯瞰して考察するとどうなるでしょうか?

  • 個人の閲覧履歴は個人のものであり勝手に使ってはいけない
  • そもそも日本でも街を歩いている人が写真に写り込んだら肖像権侵害になるので「オープンに行動していることでも個人が秘匿する権利が発生している」と考えられる
  • 「本人が公にやっていることなんだから使って良いじゃないか?」というスタンスは許されなくなっていくのではないか?
  • サイトの閲覧以外にECサイトでの購買履歴も充分プライバシーではないか?
  • かつて米国のスーパーで「妊娠している子どもに本人が気がつく前に妊婦関連商品の広告を表示した」ことが事件になった
  • ECサイトでは購入履歴に基づいてサジェストされるが他のECサイトへはそのデータはインポートできない。しかし、元はと言えば自分自身の行動の履歴であり自分に権利が帰属するデータではないか?
  • ECサイトでもポイントカードであっても自分の購入履歴を自分の自由にできないのはおかしいのではないか?

といった考察ができるのではないでしょうか?

今は便利なので誰も気にしていませんが急になにかのきっかけで、

例えば、

  • 一斉にアマゾンから別のECへ引っ越しが発生したら?
  • Tポイントの活用方法に節操がない、という批判が出て社会問題に発展したら?

といったことが起きれば「購買履歴は個人に所属し個人が所有権を持つ」という風潮に変わることは可能性として想像できます。

そのとき企業側の視点では「購買履歴を沢山持っていることは何のアドバンテージでもなくなる」という日が来ますし、その日に備えて他の競争軸を今から準備しておくべきです。

「当たり前に起きていることの背景を考察できているか?」という哲学的素養がないと「昨日まで成立していたビジネスモデルが社会の変化によって成立しなくなる」ということが予測できないでしょう。


哲学の面白さについてはこちら。この方は大学時代に哲学を学びその後コンサルティングファームマーケティングに従事していました。学者が書いた哲学入門ではないのでとても取っつきやすいです。