オールナイトでルイ・マルの『死刑台のエレベーター』『地下鉄のザジ』『さよなら子供たち』を鑑賞しました。(『鬼火』は寝ました)
『地下鉄のザジ』しか観たことがなかったので、勝手にサイケデリックな人だという先入観がありましたが、『死刑台のエレベーター』はとてもロマンチックな話でしたし、『さよなら子供たち』はしみじみとした美しい作品でした。
『死刑台のエレベーター』の音楽との相性、『地下鉄のザジ』の劇伴と絵のタイミングの併せ方など、色々と特徴があって関心をしましたが、ポイントポイントでの力の入れよう拘りようが半端ない人だと感じました。 これを機会に是非色んな人に観て欲しい映画です。
以降、ネタバレを少し含みます
ここが良かった!というのを忘れずに備忘録的にメモします。
オープニングがお洒落
『死刑台のエレベーター』は、電話をしている男女のドアップから、徐々にカメラが引いていき、建物まで見えて行く間にテロップが載ります。『地下鉄のザジ』では、パリまで行く列車からの流れる景色がずーっと流れます。 後から、ここをオープニングにしようとしたのではなくて、最初からオープニングに使うことを意識して撮っているなと思います。
『死刑台のエレベーター』の写真が泣ける
昨晩観た中で一番強く印象に残っているのがこのシーンです。
現像中の写真が出て来るシーンがあるのですが、幸せそうな2人の写真が何枚も何枚も何枚も出てきます。
本編の動画とは別撮りでスチールを撮っている筈です。 ストーリーのオチとして使うだけであれば1枚でも済むシーンなのですが、彼が何枚も撮ったのは、本作が推理やサスペンスをテーマとしているのではなく男女の純愛をテーマとしているからだと考えられます。
『さよなら子供たち』の本の交換シーンが泣ける
大切な友達との繋がりである本をお互い交換し絆を確かめ合うシーンがあります。僕はこういう脚本の作り方がとても好きです。
話の流れ上は、なくても成立します(伏線にもなっていません)。 しかしここがあるのとないのとでは、2人の絆の印象は全然違うと言えるでしょう。
以前、良い脚本というものは存在する、というエントリーを書きましたが、ルイ・マルもまた、その勘所が泣けるほど素晴らしいです。
拘ると効くところとそうでもないところ。
2016年に大ヒットアニメ映画となった『君の名は』は、CGのカメラワークでVコンを作ってから美術の絵を発注することで、アニメの絵の中をカメラが動いて撮影してきたような美しさが目をひく作品でした。その圧倒的な絵の美しさが全体を引っ張ったと思います。
一方で、タイプラプスのシーンは、周りの実写映像系の人からは、”え?何でわざわざアニメでやったの?”という反応がちょいちょい見られます。言われてみてから気が付きましたが、確かに美しいは美しいのですが、何か強く印象に残るシーンでもありません。
ストーリー上、そのシーンで最も伝えたいことは何か?から逆算した上での拘りがルイ・マルの拘りだと思います。撮りたかったから、やってみたかったから、といったプロダクト・アウトな発想ではなく、とてもマーケット・インな発想です。
日々の文章、企画書、記念写真、あらゆる局面で共通して持っておきたい意識だと思いました。
音楽もいいですが、雷の音のタイミングも良いです。25才で撮ったとは思えない程に細部に拘りがあります
2人の少年がとにかくイケメンです。何でもないような日々なのに2人の仲がゆっくりつまっていくのが、とても良いです。 本の交換のシーンもそうですが、タイトルのセリフが出て来るシーンでは泣いてしまいました。
当時これをどうやって作ったのか??という程、切り貼りが凄い、サイケデリックな作品です。シュルレアリストだと言われてもおかしくない飛びようです。笑いの中に哀愁があります。 可変させているところなどはどうやっているのでしょう?