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バケモノの子 の登場人物が大人だった。

昨日、細田守監督の最新作『バケモノの子』を観てきました。期待をしていた以上の出来だったので、感想を書き残さずにはいられませんでした。

※ちょっとネタバレしています!

予告編はお涙頂戴に見えてしまった
上でリンクも貼った予告編を劇場で見て、
「バケモノに育てられた子が、人間界に行ってしまって、哀しい別れがありながら何か事件を解決するお涙頂戴的なストーリー」
なんだろうなと思っていました。Mr.Childrenの主題歌もちょっと哀しいメロディーでしたし。
個人的には、”そういう話は別に見たくないなぁ、でも細田さんの作品だし面白いかもしれないなぁ”と期待値が低かったのです。

しかし、見ればわかるのですが、この予告編は、最後のクライマックスシーンを抜いて作っているだけで、その前半のもっともっと可愛い所、微笑ましいシーンなど、この映画の核とも言える部分からの抜き出しが少なく、この予告編fだけで見るのを敬遠するのは、実に勿体ないといえるものでした。

*余談ですが、私が見に行ったのは、ツイッターで、


というのを見かけたからです。
スクライド?!だったら見るしかねーじゃねーか!” ということで見に行きました。
スクライドは名作ですよ!)

テーマは寧ろ中島敦の『山月記
中島敦の『山月記』は学校の教科書にもありますし、ツイッターでは「お前は、李徴ではないか?」のパロディの元でもありますが、
プライドの高い一匹狼が、周囲との交流を拒絶し、独りで生きる道を選んだゆえに、人として半人前のママ終わってしまう、ということを全く救いなく指摘した作品です。
本作は、そのような一匹狼同士が出会い、仲間との交流の重要さに自然と気がついていく物語です。
その変化が少しずつ少しずつ見えていく丁寧な描写が中盤ずっと続きます。
そのシーンが実に、微笑ましいし、小さい主人公も可愛いし、練習している風景の動きもいいし、と
中盤こそが本作のメインの見所です。
「子どもを育てた経験のないお前には無理だ」「独り身ってのは気楽だったろう?」という周りのツッコミが現れる通り、
独りで生きて行くのではなく、色んな人に影響を与え、逆に与えられて、社会全体で成長していくものなのです。


*勿論、その後に、ちょっとした転機があって揺り戻しがあって突発的な危機が起きて共同して課題解決する、という王道のストーリー構成です。

登場人物が大人
僕はこれまで細田監督は、子ども向きに向いていると思っていました。
デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』
おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』第40話「どれみと魔女をやめた魔女」
時をかける少女
などは、どれも泣ける話です。
一方で、『サマーウォーズ』や『おおかみこどもの雨と雪』は、とても目を見張るシーンはあったのですが、
孤独な登場人物は、比較的受動的に仲間を増やしてく物語でした。
サマーウォーズの主人公は、たまたま先輩に呼ばれ、たまたま大家族と出会い、皆の元気玉で事件を解決しました。
しかしそこには、”自分の選択によって、自分自身の生き方を反省して成長する”という要素はなく、年齢は大人なのに、全て受動的な子どもだったのです。
それが一転、バケモノの子 では、「どうしたいのかは自分で決めろ」という明確なメッセージが何度も繰り返されます。

子どもには活劇、大人には生き方の物語
子どもには、王道の冒険活劇としか映らないかもしれません。何故なら、子どもの好奇心は強く、放っておいて学校という毎日強制的に誰かと出会う場所があるから、自然と仲間はできてしまうものです。
一方で、大人になってから友達を新しく作るのは難しい、と世間では言われています。
しかし、それは、その問いこそが間違っていると私は考えています。
実際に、30過ぎてから、新しく会う人が、最近増えてきました。(元々友達を作るのは極めて苦手なのですが、、、)
山月記の李徴にならないように、バケモノの子の最初の熊徹にならないように、社会的に生きていく為の勇気を貰う作品でした。



逆に、本作を純粋な冒険活劇として見たかった人や、もう充分に仲間が居るというタイプの人にとっては、何度も繰り返される 多々良 や 百秋坊 の小言が説明的に過ぎると思うかもしれません。 楓の言う、「みんな闇を持っているだ」というテーマの繰り返しも鬱陶しいかもしれません。
でもこの物語は、山月記を克服した者達の物語なのです。それを摂取する為に観るんだ!と思えば、その1つ1つの台詞に味わいがあることと思います。 また、こいつの名言キタ━(゚∀゚)━!という高いテンションで見続けられます。