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スレイヤーズ/分割2クール/サーガシステム・角川商法の魅力

先日社内の後輩が、「K」(*抜刀!でググって下さい)について、”放送後のネタの投下が、公式が二次創作やっているみたいで凄いんですよ!”と言っていて、これは重要な着眼点だなぁと思い、自分の記憶の範囲で、その感覚の源は何なのか、考えてみたい。

『読んでから見るか 見てから読むか』
時をかける少女』や『セーラー服と機関銃』といった、角川映画が大ヒットをしていた頃に使われていた、角川映画と角川文庫のキャッチコピーだ。
映画を見て物語に感動したら、追体験をしたくなって原作を買う、その中身がまた映画とは違っていて、益々面白い。
そうやって映画と本とを両方売るメディアミックス戦略が、角川商法だった

スレイヤーズのシステム
その角川のメディアミックスは、TVアニメでも応用されたが、ショット的な展開ではなく、更に時系列的に応用されたのが、スレイヤーズのシステムだ。
1995年4月〜9月 TVアニメ『スレイヤーズ』(無印)
1996年4月〜9月 TVアニメ『スレイヤーズNEXT』
1997年4月〜9月 TVアニメ『スレイヤーズTRY』
⇒ 2クール放送しては、少し期間を開けて、また2クール放送する。放送していない間のファンは、飢餓感を埋める為に、原作本に手を出す。ずっと1年中やるのではなく、時々休むことで、逆にファンの熱量が維持できるのだ、とは、当時の関者の遠い伝聞なので、本当だったのかどうかは、知る由もないが、そういう効果があるとは思う。

世界観を消費させるサーガのシステム
「サーガ」という大きな物語や共通の世界観をベースに複数の物語を消費させるシステムについては、大塚英志さんがよく指摘している。(メディアミックス化する日本 (イースト新書)がとってもわかりやすい本です)
スター・ウオーズの第1作は一番最初の物語ではなく、大きな物語の中の途中のある一時期の物語、なので、ファンは、その前後の物語にも思いを馳せる。そして、前後の物語が提供されるとそれに飛びつく

⇒ ラジオドラマ、コミック、ノベライズ、ゲームetcと、アニメと少しずつ異なる物語を提供するのは、その為だ。同じ世界観だけど異なる物語を熱いファンは欲するのだ。

EVAの二次創作フリー
こちらにある通り、GAINAX NET|Works|Animation & Films|新世紀エヴァンゲリオン|ガイドラインエヴァンゲリオンは二次創作を一定範囲で許可している。
自分の記憶も薄いけれど、本放送と劇場版放映時には、アンソロジーのコミックや勝手な解釈本やら、それ以外にも恐らく個人で活動して広まったものもあったと思うけれど、様々な二次創作があったと思う。
オタクに対して優しい!というだけのことだったのかもしれないけれど、そうやって二次創作を公式に許可したことで、EVAの世界観を消費する為の材料が大量にそして手にしやすい流通で広がったことは、コアなファン層を厚くする効果があったと思う。

大事なのは著作権を緩めることではなく、世界観を売ることと飢餓感を与えること
著作権を緩めて、ドンドン二次創作しよう!というのが必ずしも正解ではない。余りゆるくしすぎても、収入がなかったら、次の創作活動への原資にはならない。
大切なのは、「世界観を売ること」と「飢餓感を与えること」だ。
TVアニメと全く同じ絵柄やストーリーのコミックでなくても、共通の世界観であれば、売れる。
何か1つの原作に忠実過ぎる必要もない。(少なくともファンにとっては)。寧ろ、少し異なる方が新鮮な物語として消費できて、益々ファン度が高まる。原作に忠実に!にこだわって全く同じ内容を見せられても、もう知っているよ、となってしまうだろう。
もう1つの飢餓感というのは、タイミングの問題である。
ずっとTVアニメを1年間やっても盛り上がるが、途中で休憩が入ると、その放送されていない期間に必至で保管しようとして消費が進む。そして、「あ〜もうこれで終わってしまうんやなー」と思っている所に、次の情報が出ると期待がまた膨らむのだ。
休んでいる間に記憶も美化される。

そうやって息の長いシリーズが育ってくれると、とても豊かな文化になるのではないかと思う。



今や世界観を売るのは広告も同じ
余談かつ、ちょっと話が飛躍するけれど、広告の世界でも似たような特徴はある。

以前広告界隈では噂になった、ブリティッシュ・エアウェイズの親子の再会する広告。
これはもう見る度に涙がでるというか、いまや再生ボタンを押しただけで目頭が熱くなる。今、先進国の広告では、商品の直接的説明ではなく、商品が目指している社会的価値を広告メッセージとする手法へシフトしている。少し語弊があるかもしれないが、僕はコレは、世界観を売るコンテンツビジネス ととても近しい行為だと思っている。
上手く言葉では言い表せないけれど。

人は物語を消費しがち
最近、酒鬼薔薇聖斗の自伝的な本が発売されて、売れている。或いは、小泉さんや橋下さんのように、劇場型の政治家を支持する人がいる。
どういうわけか人は、論理的な知識欲だけでなく、”物語として消費したい”という欲求がある。
知識として知りたいなら酒鬼薔薇聖斗の事件は物語調である必要は全くないし、政治家もロジカルに政策提案してマニフェストで比較すればいいのだが、どういうわけか、社会はその方向性には進まない。
物語としての消費行動には、良い面も悪い面もあるが、できるだけ、良い物語が世界に広まっていって、良い社会になる方が嬉しいと思う。