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安部公房『榎本武揚』は非常に興味深い作品

本日 読書会こそ行くことが叶いませんでしたが、安部公房の『榎本武揚』が非常に興味深い作品でした。
正直な所、安部公房らしい常識を覆すような発想の転換や皮肉というものは、一見薄いのですが、極めて挑戦的な構造だったが故に、これは読む価値が高いと感じました。

1.歴史小説の定石を覆す
 歴史小説大河ドラマの主人公、或いは、歴史上人気がある人々と言えば、坂本龍馬源義経宮本武蔵新選組の面々といった、時代の変化の中で辛い状況でも真っ直ぐに信念を貫き通した人たちでしょう。
 しかし、榎本武揚というのは、戦艦に早々に着目し化学にも詳しくしかも海外の要人と交渉しているなかなかの人物ですが、余り知名度はなく、、、更には、幕府側にいて五稜郭まで戦ったにも関わらず、後々、明治政府側についてあまつさえ主要ポストにつくという、変わり身の早い人物です。
 苦労して逆境を乗り越えるという物語の王道に載せることのできないこのような人物を選んで話を作るのは難しいことと存じます。

2.入れ子構造によって一気に引き込まれる
 本作、さぁ榎本武揚のどんなところが描かれるのだろう?と思いきや、第一章ではいきなり謎の伝説から話が始まる。旅先に伝わる怪しい伝説で、昔 囚人達が大砲2つと共に脱走し、山岡に密かに自分達の国を作ったというのだ、そしてその集団が住んでいたと言われるエリアの道路には、

子どもの1人歩きはやめましょう

なんて立札が立つくらいに、”これは何か秘密があるのではないか?”という気になる物語から始まるのだ。
 そして、実はその囚人の逃走劇に、榎本武揚が1枚かんでいて、旅先でこの伝説を教えてくれた宿屋の主人の祖母が接触した、、、という所から榎本武揚に繋がっていく。
 しかし、その後も時代が遡るのではなく、あくまでも宿屋の主人が榎本武揚に惚れ込んでいた為に、彼にまつわる記録文書を見つけ出し、その記録文書の紹介、という形で物語は進んでいく。しかも、榎本武揚に出会うまで極めて長い。

 しかしながら、作品タイトルの主人公が登場するまで長く待たされても一向に気にならないのが、本作の魅力でもあります。

3.入れ子構造は単なる入れ子ではない
 榎本武揚に執着する宿屋の主人(福地)というのは、元憲兵で、憲兵時代に職務を全うする為に人を刑務所送りにしていたというのに、戦後にはそこそこの資産家としてのうのうと生きている、正に榎本武揚のような転身をはかった人物です。これが、手記の資料に出てくる登場人物の立場に、オーバーラップしてくるのです。
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<転身をはかったもの>
 福地 「憲兵 ⇒ 商人として成功」
 榎本武揚 「幕府 ⇒ 明治政府要人として成功」

<信念を貫き通したもの>
 浅井十三郎/土方歳三 「幕府の武士道を貫く」

<拠り所を失ったもの>
 浅井十三郎/土方歳三 「幕府の武士道を貫くも、幕府そのものが消滅し、忠誠の対象が消え、心に迷い」
 福地 「憲兵時代の忠誠の対象が戦後になって消滅、過去の行為の正統性について心に迷い」
     「榎本武揚が尊敬に値しない者であったと知り、逃亡」

<失った拠り所の代理として英雄を求める>
 浅井十三郎 「土方歳三を英雄視」
 福地 「榎本武揚を英雄視」 

 更に、この福地すら、主人公が旅先で出会った宿屋の主人であり、榎本武揚と浅井十三郎の物語についても、福地が送ってきた手記資料という形で、更に入れ子構造となります。

4.テーマ性がありながら、相対化
 上記入れ子構造によって、時代の変化とともに、自分の信じてついて行こうとしていたものが消えてしまう、、、という重いテーマを扱っていながらも、飄々と生き抜ける榎本武揚を2重に間接的な形で描くことで、誰か一方の側に肩入れせず、読者も著者も相対的に眺めることが出来ます。

5.流れるような美しい表現がまた距離を置く効果が
 時々安部公房は、美しい風景描写で、作品を相対化することがあります。最も美しい最後の締めを引用したい所ですが、それではお楽しみがなくなるというものですので、冒頭から引用しましょう

そしてその索莫とした風景を、一本の道が、まっしぐらに切り裂いていた。地形も何もおかまいなしの、ただ一直線の道である。おそらく、死ぬのも面倒臭がっているような怠け者の技師が、現地も見ずに、地図の上に定規で線を引いてつくった道にちがいない。

 このような美しい風景描写以外にも、第ニ章の浅井十三郎が同士を説得する為に語るシーンは、余りにも饒舌で余計なことを喋る講談調で描かれています。それによって生じる胡散臭さは、読者の浅井十三郎への感情移入を遠ざけます。
 

恐れず、まどわず、告げるとしよう。流言は智者にとどまるという。いずれ蜉蝣の一期、もしわれらtがその智者となって、流言に杭うちのでなkれば、歴史はあやまちを伝えて、邪が正を乱すことになる。心を白紙にかえして聞いてもらいたい。私が這っても黒豆のたぐいの強情家でないことは、花の下の半日の客、月の前の一夜の友、諸君にだって分かってもらえるはずだ。、

 このような調子のページが実に本書の半分を占めています。

 ヒロイックに主人公が、困難を乗り越えて大きな何かを成し遂げていく古典的ハリウッド映画のエンターテイメントの技法とは全く異なるアプローチからのエンターテイメントな小説として、本作の手法はとても興味深いものだと思います。



榎本武揚 (中公文庫)

榎本武揚 (中公文庫)

 安部公房らしいか?らしくないか? 諸説感想はありますが、安部公房らしさとして目立ついつもの奇抜な設定こそないもの、その裏で安部公房がいつも使っていた表現手法や構造が使われていて、却って安部公房らしさとして今まで気がつきにくかったポイントが見えてくる作品でもあります。