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「太陽の王子ホルスの大冒険」の主人公は誰か?

一昨日、東映長編アニメを観る機会があった。 >> 【WEBアニメスタイル】043 東映長編を観よう!(2014年10月9日)
「ガリバーの宇宙旅行」もアヴァンギャルドでかなり衝撃的な作品だったし、何度見ても「どうぶつ宝島」は完璧だった。

初見だった「太陽の王子ホルスの大冒険」もなかなかの衝撃だった。
演出面については、小黒祐一郎さんのアニメ様コラムを参照して頂くとして、
僕が一番感じたのは、
主人公以上にヒロインへの感情移入する作品だったなー”という点だ。

※以下、ネタバレを含んだ感想です

■ ホルスはシンデレラストーリー
 シンデレラストーリーとは、シンデレラ(サンドリヨン)のストーリー構成で、主人公が持ち前の才能を別段努力もなしに、他者に発見されて成功を手にする物語の形式。
 シンデレラ自身は実は最初っから美人で優しいのだけど、環境が不遇で誰にも発見されていなかった。それを魔女のサポートによって王子に発見され、一度は、別れ別れになるも、王子側の必死の努力により二人は結ばれ、玉の輿(=この場合の成功)を成し遂げる。決して、シンデレラが自らの逆境を乗り越える為に必死に知恵を絞って成功する話でも、努力・友情・勝利で周りを巻き込んで成長させて行く話でもない。
 例えば、「冴えない女の子がイケメンに発見される少女漫画」や「冴えない男子の周りに美少女が落ちてきてハーレムになり、実は特別な技能があってそれが彼女たちを助ける、ラノベ」などがある。

 ホルスは、熱血主人公なので、一見、シンデレラストーリーではないかのように見えるが、実際には、彼は持ち前の勇気で苦境を乗り越えていくが、自分自身に潜む弱点に気が付きそれを克服する、というシーンはない。
 元から斧の使い方は上手だったし、剣を復活させたのは周りの村人の力だ。
 悪魔の手先を村に招き入れてしまったことへの気付きや反省はない。自分の村を壊しヒロインの村を壊したと”聞く”悪魔を倒す、という行動だけだ。悪魔が何を考えていたのか?を考えることもなく、悩むヒロインに”君は人間に戻れる!”と諭すが、その言葉以上の協力も悩みの共有もしない。それ以上深くは踏み込んでこない距離にいる。

■ ヒロイン ヒルダの悩みは深い
 一方で、ヒロイン”ヒルダ”は、美しい歌声で人々の心を穏やかにする才能がある(*この歌のシーンがとても美しいです!!)が、逆にそれは悪魔の歌声で労働意欲を奪ってしまう。その為、彼女はどの村にも結果的に受け入れられて貰えない。2人の動物と兄貴分の悪魔だけが彼女のファミリーだ。
 何の悩みもなく村の男と結婚していく同年代の女の子の無垢な幸せが怨めしく、素直に祝ってあげる気持ちになれず、哀しみを暴走させる。
 悪魔に救って貰って唯一村から生き延びた彼女は、悪魔のもとから逃げ出して生き残る自信などない。半分自分自身を無理矢理にでも納得させる為に、己の心と闘いながらもホルスが村人から疑われるように悪魔の指示に従ってしまう。
 悪魔に従ったり、反抗したり、という葛藤の末、最後には、ホルスに無邪気に従う純真な幼児と熊の姿を見た時に、自らの死を顧みずにホルスの仲間たちを救うことを選択する。

■ 物語のカタルシスはどこか?
 ホルスが剣を復活させたことが1つのターニングポイントとなって物語は一気にカタルシスへ向かう。序盤に出てきた者も協力してくれて、村人も協力した悪魔を倒す。
 しかし、剣の復活の理由も、何故村人が急にホルスに協力したのか? ただ強力な悪魔を実際に目の当たりにして、強いものにすがろうとしたのか?或いは、ホルスが正しかったことを理解し反省したのか? その明確な描写はないが、協力のもと敵を倒す王道の物語を迎える。

■ 真の主人公は、ヒルダではないか?
 本作は、ヒルダの存在がとても大きい。物語の中で、自らに大きな悩みを抱え、己の弱さを反省し、改心するのは、ヒルダである。中盤は、彼女のダブルバインドな心の揺れ動きを追いかけることで、物語の山がある。彼女の存在なくしては、カタルシスは生まれないだろう。
 故に、実際のカタルシスは、悪魔の退治ではなく、ヒルダが生きていた!というシーンなのだ
 ヒルダこそ主人公であり、ホルスはその引き立て役側なのだ。ホルスは物語の進行を補佐する語り手と同じである。彼を軸に物語は進行するが、観客の心を揺り動かすのは、途中からヒルダなのだ。
 ホルスと村人との和解を描くのではなく、ヒルダの心の悩みを解決する。ある意味で「セカイ系と読んでもいいだろう。



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